ボートレーサーは儲かる…ということで、学生はもちろん、一度社会人を経験した人でさえもレーサーになるために養成所に志願しているようです。

ボートレース養成所は、毎年なかなかの倍率で入ることすら難しく、さらに入っても卒業して活躍できるかも保証されていません。儲かると言いながらも、じつはとても厳しい世界である…ということがいえるのではないでしょうか。さて、そんなボートレーサー。

じつは、とんでもないレジェンドがいたことで知られています。では、そのレジェンドについて調べていきましょう。

●坂本は驚きました!

坂本はまだまだ競艇の初心者ですので、レーサーについてもそこまで詳しく知っているわけではありません。本当に競艇が好きな方に中には、そのレーサーの追っかけになるほど好きになる…ということも耳にしています。

しかし、そういったレーサーは大抵はイケメンとか若い可愛い子たち。オッサンレーサーたちは、ある意味で注目されるでしょうが、そこまでアイドル扱いされないのは当然です。(されていたら恐怖!)

さて、今回主題にしたいのが若い子が活躍が目覚ましい競艇業界の中で、奇跡の男として活躍し続けたおじいちゃんがいたのです。それが、加藤峻二レーサー。

2015年5月7日に惜しくも引退をされたわけですが、その時の年齢が73歳…。!?73歳でつい最近まで現役選手として水上を走っていた人がいたなんて、坂本は驚きで仕方がありません。

60半ばを過ぎたら退職金でのうのうと暮らし、ネットを荒らすだけに止まらず、飲食店や各種小売店で罵声を浴びせるゴミ老害ジジィが多いなか、70を過ぎても走り続けているとは…格好良過ぎです!

●埼玉支部の星!

加藤峻二レーサーは埼玉出身で、埼玉支部で活躍してきたレジェンドです。登録番号は1000番台で登録期が5期というのですから今は亡きジャニーさんたちの時代を駆け抜けていた…ということも考えられます。

近頃、デビュー数年で賞金ランクが上位!というレーサーたちを見かけるのですが、加藤峻二レーサーのデビュー日は1959年…。

60年にも差し掛かっていないということで、ビートルズが日本に来ていない音楽革命が起こっていない頃からのプロレーサーであったことに驚きを禁じ得ません。

さらに、引退したのが2015年ということですからね…。もうちょっと頑張っていれば昭和、平成、令和を駆け抜けた生涯唯一のレーサーになっていたかもしれません。

●71歳での快挙!

しかし…この加藤峻二レーサー。もちろん、坂本などは足元にも及ばない方ですが、ただ現役選手を続けるだけであれば案外できる方もいるでしょう。

ダラダラとその席を譲らず、ずっと君臨し続けるゴミ天下り政治家や企業役員、顧問などがそれに当たるでしょう。そういった立場だったとしたら加藤峻二レーサーは、ちょっと微妙な気持ちなってしまいます。しかし、加藤峻二レーサーは違いました。

なんと、戸田競艇場で最高年齢71歳の勝利の雄叫びをあげています。71歳で、勝っているのですからこれはガチレジェンド。

老害どころか、若手とも対等に常に戦い続けてきた本当のレジェンドなのではないでしょうか。しかし、やはりその力や集中力は年齢には勝てませんでした…。

●フライングが原因で引退?

レーサーとして常に努力をし、真面目に実直に仕事を全うし続けてきた加藤峻二レーサー。なぜ、引退という道を選ぶことになってしまったのでしょうか。

暴行、失明、もしかして難病におかされていた…?いや、じつはフライングだったそうです。

どうやら、埼玉支部の地元である戸田競艇場で加藤峻二レーサー出走レースの時、フライングをしてしまったそうです。しかし、このフライング。なんと、16年ぶりのフライングだったということで、「まぁ、そろそろ俺もおしまいかぁ…」という合図になったのだそうですね。

ただ、奥さんにだけは帰宅して「もう辞めるかな」と伝えていたようですので、その奥さん思いのところも魅力でしょうね。スタート無事故3,000走を達成している…というだけあって、フライングは腕が鈍っていた証拠ということだったのでしょうか。

いや、しかしまさしく時代の寵児、御大でございます。

●やっぱり儲けていた

さて、坂本はちょっとセコいところがあります。

これで、加藤峻二レーサーがガチであまり活躍できていない選手であり、ギリギリの生活をしていたのであれば涙しか出てきません。弱いレーサー、かつ真面目でファンが多かった。こういったのって、やっぱり涙しかでないではないですか。

しかし、加藤峻二レーサー。そこはちゃっかりと儲けていました。加藤峻二レーサーの生涯獲得賞金は16億円以上。年収は、3000万円を超えていたということですので坂本は少し涙が出てきます。

加藤峻二レーサーは、なんだかんだでレジェンドでしょう。レーサーたちに夢を与え続けた、まさに御大なのです。